車と沈黙と指先 ブレーキを踏み込む。 ハザードを点滅させて、滑り込むように道路脇に寄せた。 静かに停車する。 ほどなくしてやはり静かに、空の助手席に一人乗り込む。 ドアが閉められるのと同時に、アクセルを踏みハンドルをゆるやかに切った。 「ご苦労様」というのは、雲雀は部下ではないので不適切だ。 かといって、「お疲れ様」ならいいのか、と言えばそうでもない。 「久しぶり」というわけでもない、おとついも会った。 「どうも」と言うほど他人ではなくて。 でも、「おかえり」――雲雀の家族か、という話で。 どうにも迎えで彼を隣に乗せるときはいつも、切り出しの言葉に迷った。 いや、何か言えと強要されているわけではない。 だから結局今日も黙っている、という選択肢を引き寄せる。 無論雲雀が沈黙を気遣って何か喋ってくれるという男でないことは、百も承知している。 「くち」 「――ん、あぁ?」 躊躇いが無意識に出てしまったのか、親指で唇をなぞっていた。 信号は黄色。 速度を上げて通り抜ける。 少し驚いた。 「血が出てる」 乾燥した薄い皮膚は、指先のささくれによって簡単に破けてしまったようだ。 舌で探れば、わずかに血の味がする。 「爪も長い。切ってあげようか?」 にやりと歪んだ口元を見て、獄寺は眉根に深い皺を刻んで、掴まれた左手を引き抜いた。 素直に頷いてしまえば、爪を切られるどころか根元から剥がれてしまいそうだ。 そう、言葉に乗せると否定も肯定も口にせず雲雀は「そう」とだけ言って目を閉じた。 雲雀は眠るのが好きらしい。 特に車の中では強烈な睡魔に襲われるらしく、運転している獄寺をよそにすやすやと気持ち良さそうに寝息を立てていることが多い。 起きていると変に気を張って、けれどそれを悟られるのも癪で、感情が平坦であると装おうとまたそこで疲れてしまう悪循環なのだが、眠ってしまえば一人と同じだ。 こっそりと溜息を吐いて、小さくつけていたラジオを消した。 「――まぁ、悪くはない、気分かな」 しかし、安心してすっかり気を緩めていたところに突然声をかけられて、びくりと肩を揺らしてしまう。 何のことだと問う前に、雲雀は欠伸を一つしてから続けた。 「しがみついて、背中につけられる爪痕の痛み」 「……〜〜〜!!!」 真昼という時間に不似合いな、随分と艶めいて悪戯っぽい笑みを投げられた。 危うくハンドルを対向車線の方へ回しそうになる。 じわっと熱くなる頬。 悔しさといたたまれなさと色々ごちゃまぜになって、叫びたいが明確で的確な言葉が出てこない。 ただ殺意をもって睨むだけに終わってしまう。 「余所見しないで。ほら、そこ右折だろ?」 いっそ左へ思い切りハンドルを切って角の銀行に突っ込んでしまいたい。 野生の象より強くても、今出ているスピードと車の重量から重力やら何やらを算出すれば、大怪我はするだろう。 それでも銀行にいる一般市民の皆様にご迷惑をかけるわけにはいかず、大人しく右車線に入った。 「死ね! 死んでしまえ!」ウインカーを出しながら繰り出した左手のパンチは虚しく空を切り、それどころか囚われてしまって、爪先には戯れに軽いキスまで贈られてしまう。 「てめーヒバリー!!!」 沈黙よりも居心地の悪いからかいの科白とそれに対する怒鳴り声の所為で、車を降りる頃には精神的にも肉体的にも疲弊しきっていた。 知人に借りた車は禁煙の為、ようやく手にした煙草を苛々と歯軋りしながら吹かしてぼやく。 (もう絶対に迎えになんか行かねえ…!) その横で妙に雲雀が愉しそうなのが、さらに獄寺を疲れさせた。 |
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