空の棺 偉大なるボンゴレ10代目が死んだ。 ジェット機の、機械トラブルだった。 乱気流。 突然の制御プログラムのエラー。 管制との通信途絶。 急降下。 脱出口が開くも、間に合わず。 爆発、炎上。 早過ぎる死だと、誰もが嘆いた。 強く優しい彼は皆から敬い、愛されていた。 英雄を失ったシチリアが深い悲しみに沈む。 葬儀には、様々な種類の人間が数多く参列した。 荘厳で厳粛な式は、すすり泣きで充たされ、分け隔て無い彼の、生前の偉業や、人となりを改めて知らしめた。 爆発で空に散った遺体は、集めることが出来ずに、軽い棺は彼を思わせる白い花で溢れていた。 「――っ、10、代目……」 空の執務室で、獄寺は子供のように大粒の涙を流していた。 柱を失い、動揺が走る裏社会を落ち着かせようと東奔西走していたのは、綱吉の右腕で、事実上のボンゴレナンバー2である彼だった。 雑務に忙殺された、怒涛の一週間は過ぎ去った。 主のいない机は、綱吉が残していった書類が雑然と載せられており、そのうち彼が帰ってきても、いつでも署名できるようになっていた。 それでも彼はいない。 帰っては来ない。 何かを考える余裕など、無い方が良かった。 とめどなく流れる涙を拭おうともせずに、獄寺はしゃくりあげた。 揺れる色素の薄い髪に、大きな手が躊躇いがちに伸ばされる。 しかし獄寺はそれを許さずに、鋭く払いのけた。 「オレが…のってれば……!」 張り詰めていた糸がぷつりと切れた。 言うまい、と口を噤んでいたが、一度開けば止まらなかった。 痛いほどの悲しみと、悔恨と、拒絶が灰緑色の目に鮮烈に浮かんでいる。 綱吉の最期、共にいたのは山本だった。 隣の席にいたのだと、庇おうと手を伸ばしたのだと病室で彼は呟いた。 しかし、伸ばした手は凄まじい圧力で切断され。 左手を失った山本は、見たことがないほど憔悴しきっていた。 偶然が重なり生き残ったのが、山本だった、ということ。 仲間の命が助かり、嬉しくないわけじゃない。 けれど、どうしても、納得できないのだ。 10代目・沢田綱吉の死が。 彼が、自分の前からいなくなることが。 「どうして……っ」 襟を掴まれた山本の目は乾いていた。 まるで、泣いてはいけない、泣く権利などない、とでも言うようだった。 事故なのだから仕方ない。 そう言って、その肩を叩いて悲しみを分かち合えればよかった。 死者は戻らない。 残された者がするべきは、彼の遺志を継ぐことだ。 だが、綱吉の存在は大きすぎて、獄寺はなじらずにいられなかった。 山本は言い訳ひとつせずに、部屋を出ていった。 山本は綱吉の葬儀には参列できなかった。 痛ましい事故の奇跡の生還者だといっても、腕をひとつ失い、全身打撲に骨折に、と数えればきりが無いほどの傷がある。 大きすぎず、小さすぎず、白い花で覆われた祭壇の前に、彼は立っていた。 「こんな腕一本……」 震える背。 俯く項に、ステンドグラスから透かされる光が当たる。 陰になった顔の中、じわりと上がる口角を、けれど見る者はいなかった。 山本が消えた。 病院にも戻っていないという連絡を受けて、獄寺はじっとりとした掌を握り、机に叩きつけた。 心当たりなど、しらみつぶしに全てあたって砕けた。 「…クソッ!」 忌まわしい事故があったばかりで、嫌でも不安ばかりが募る。 抗争にでも巻き込まれたか。 トラブルか。 事故か。 それとも――…。 あんなこと言わなけりゃ…。 己の罪深い唇を噛み締めても自責の念は増すばかりだ。 獄寺のそんな一言で、絶望して自らの命を絶つほど、やわでは無いはずだ。 しかし今、山本の精神状態は決して正常ではない。 十年来の友を喪い、しかもその場にいたのだ。 「馬鹿野郎っ…!」 自分へ、そして山本へ。 掻き毟った髪はそのまま、獄寺は駆け出した。 「なあ、ツナ。獄寺が泣いてたんだ」 その獄寺がどれだけ『ボス』と呼べと睨んでも、山本は中学生の頃のまま、『ツナ』と呼び続けた。 何かを守るように。 そして綱吉も、二十歳を越えても愛称のそれを嫌がることはなく、受け入れていた。 全てが順風満帆ではなかったけれど、穏やかな時間は多かった。 「おまえが死んだってさ、ボロボロ泣いてた」 無邪気に、母親に今日の出来事を報告する子供のように、山本は笑う。 跪き、残っている右手で『彼』の足を手に取り、親指に口づけた。 動かないのをいいことに、爪の間にねっとりと舌を這わせる。 豪華なアンティークの椅子には、人形が一体。 山本の、大切な大切な、生きた人形。 濃茶の双眸は瞳孔が散大し、念入りにベルトで巻かれた身体はぐったりと弛緩していた。 やっと手に入れた。 髪の先から、足の爪の先までよく味わおうと、丹念に愛撫した。 「や…まも、と……」 「ん? どーした?」 ツナ、と。 いとおしげに囁き、自分の名前を呼んだ唇に耳を近づける。 小さく掠れた声で、どうして、とずっと何度も繰り返されている問いが、鼓膜を震わせて山本の脳まで届く。 同じことばかり聞かれても、山本はイラついたりしない。 山本が彼に打った薬は、一時的とは言え視力と全身の自由を奪い、思考もひどく鈍くなるというのだから。 それに、彼の声を、何度同じ言葉でだって聞いていたかった。 「おまえを、オレだけのものにしたかったからだよ」 鎖で繋いで閉じ込めて。 綱吉の明るい笑顔とか、信頼を寄せる眼差しとか、そういうものを全て犠牲にしても。 愛されないから、嫌われるから、自分の気持ちを押し込めるという時期はとうに過ぎ去っていた。 愛されなくても、憎まれても、山本は綱吉を自分だけのものにしたかった。 それが、愛とか恋とか、きれいな感情じゃなくて、醜い執着という感情であったとしても構わない。 止められない想いで、がんじがらめに縛り付けるだけだった。 「腕一本で、おまえが手に入るなら安いもんだよな」 誤算だった。 もう一度両腕で、この細い体を抱きしめたかったが、左腕を代償に綱吉の全てが手に入るなら、こんなに得な交換はなかった。 周囲が勝手に悲劇的な負傷だと勘違いしてくれる。 「泣くなよ、ツナ」 かすかに震える瞼から、透明な雫が零れ落ちた。 その涙さえも自分のものだと舐め取って、山本は至福に満ちていた。 山本を見かけた、と目撃情報が入ったのはつい先程。 一刻も早く、自らの目で無事を確認したくて、とるものもとりあえず、獄寺はアジトを飛び出した。 もう、誰も喪いたくない。 その願いが獄寺を逸らせ、ほんの少し、彼の冷静さを奪い取っていた。 山本は呆気ないほどすぐに見つけられた。 姿を隠すような不審さも、脅されているような警戒の様子も何も無い。 ごく普通に、マーケットで買い物をしたのだろう、茶色の紙袋を抱えて目立たぬ一軒家に入っていった。 離れた場所で窺っていた獄寺は、知らずほっと息を吐く。 とりあえずは無事なようだ。 念の為に、服の下のダイナマイトをざらりと撫でながら、山本の後を追った。 不思議なほど何の仕掛けも無い家だった。 さすがに日本のように、鍵を開けたまま、ということは無かったが、それ以外の防犯システムは設置されていないようだし、奥の方からは味噌汁のいい香りが漂ってきた。 郷愁を誘われる匂い。 疲れた山本も、物騒な生活から逃れて、少し休みたかっただけなのかもしれない。 誘拐・事故・事件の線は全て消え、獄寺はいよいよ肩の力を抜いた。 帰ろうかとも思ったが、懐かしい匂いに後ろ髪をひかれ、山本に謝りたかったこともあり、獄寺は自然にドアを手の甲で叩いていた。 「獄寺……」 わずかに見開かれた眼は、ついで悲しそうな色を浮かべ、やはり前回の自分の言葉は彼を傷つけたのだと獄寺は確信した。 大事な人を亡くしたのは山本も同じなのだ。 潔く、がばりと頭を下げる。 「…その、悪かった……」 「……謝られることなんて、何一つねーよ」 でも、こうして会えてよかったと、山本は右手で獄寺の肩を柔らかく叩き、奥へ招いた。 山本が無事であること、そして謝罪を受け入れてくれたことに、安堵していた獄寺は見逃していた。 その時の彼が、殺し屋の目をしていたことを。 「飯、も少しでできるから食ってけよ」とリビングに獄寺を残し、山本はキッチンへ向かった。 殺風景な部屋の中で、獄寺は一人ソファに掛ける。 薄ら寒いような違和感。 心の中で徐々に大きくなるそれを、ただの思い過ごしだと割り切って、獄寺はふと古いCDデッキに目を留める。 部屋の中で唯一、少年時代の山本を思い出させるものだった。 気を紛らわせる為にも、何か音楽でもかけようと立ち上がる。 ガタン、と獄寺がたてたのではない音が、かすかにあがった。 ピアノを幼少期に習っていた獄寺の聴覚は、ボンゴレでも特に優れている。 カタン、パタン、と不定期に起こる音に、一度気づけばどうしても気になってしまう。 流れ出すギターのアルペジオで掻き消されそうになっても、その音は獄寺の耳に残った。 ペットでも飼っているのだろうか。 胸騒ぎがする。 音の方向にあるドアを、獄寺はそっと開いた。 薄暗く広がる闇。 外面からは想像もつかない、剥き出しのコンクリートの壁。 窓一つ無い、虚無の部屋。 フローリングに打ちつけられているのは、優雅な曲線を描く椅子の脚。 部屋の奥、アンティークの椅子に座っていたのは―― 「10…代目…ッ!?」 人形のように表情が乏しく、ぐったりと衰弱しているようだが、確かに彼だった。 喪ってなお、影響を及ぼす偉大なボス・ボンゴレ。 死んだはずの人間だ。 しかし、彼は、生きている。 胸が呼吸で上下していた。 「じゅ……っが…っ!」 どうして。なぜ。 混乱していても、獄寺はとにかく衝動のままに彼に近づこうとした。 刹那、強い殺気を感じる。 しかし身構える間もなく、突然背後から襲われ、その場に倒れてしまう。 「あーあ、見つかっちまった。…獄寺はいいヤツだけど、ツナをそっちの世界に連れてったろ?」 何でもないように、明日の天気でも話すように山本は獄寺を見下ろして言った。 隻腕には刀が握られ、獄寺の血でそれは汚れていた。 傷口が燃えるように熱いが、指先から全身が冷えていく。 大量の血が失われていっているのだ。 「て…めぇ……ッ!?」 なんだ、これは? 到底受け入れることなどできない現実に、獄寺は目の前が真っ暗になる。 それでも防衛の為に手はダイナマイトを握り締めたが、着火する前にその手を刺された。 「ぐぁあっっ!!」 「おまえが戦ってるとこなんて、誰よりも多く見てる。そしておまえはオレより弱い。大人しく死んでくれな、獄寺」 ちゃんと苦しくないように一発で殺すから。 優しくさえ聞こえる声に、獄寺は戦慄を覚えた。 誰だ、これは。 山本の皮を被った…狂人だ。 「…めろ……! 山…本ッ!!」 「…相変わらず優しいのな、ツナは。だからこそ、都合がいーんだけど」 響く掠れた声。 一瞬きょとんとして、山本は綱吉を見た。 薬が切れたわけではないらしい。 動かない体を、必死に動かして獄寺を救おうとしているのだ。 怒りと羨望と、陶酔。 そして、優越。 獄寺は死に、山本は生きる。 綱吉と共に。 獄寺という居場所を失い、綱吉は山本だけに執着する。 そうなればいい。 山本は思う。 そうならなくても、また何かを奪えばいい。 その結果、綱吉が壊れてしまっても構わない。 壊れてしまった綱吉は、従順に自分の思うままになるだろう。 「じゃーな、獄寺。……最期をツナに看取ってもらえて幸せだろ?」 白刃が閃く。 獄寺が最期に見たのは漆黒だった。 常軌を逸した山本の、狂喜と狂気の色。 「――――――――ッッ……!!!」 声にならない綱吉の叫び。 返り血を浴びた姿で、山本は笑った。 それはとても透明できれいな笑顔だった。 |
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