Confessione ほうじ茶にしようと思った。 この地では、コーヒーや紅茶がポピュラーだが、最近どこか疲れたように見えるあの人には、今は生まれ故郷のお茶がいい。 緑茶ではいけない。形だけの男らしさとかそういったものに、特にこだわりを見せない彼は、コーヒーはミルク入り、紅茶は砂糖が入ったレモンティーを好み、「煎茶は苦くって、実はあんまり好きじゃないんだよね」と零していた。 そんな彼の人の、変に格好つけず飾り気の無い、ありのままに好きなものを選べるところに憧れているし、羨ましく思っている。 (俺は外見ばっか気にしてるから) 強くあれ。男らしくあれ。裏を見せるな。弱音を吐くな。 幼い頃から言われ続け、自分でも言い聞かせてきたことだ。 肩の力を抜いて、傍にいていいんだと彼は言うけれど、右腕として彼に仕える以上、寄ってくる者を、常に害になる人間か否か見極め、冷静に冷徹に対処しなければならない。それは大変なことであったが、獄寺にとって当然であったし、役目をまっとう出来るのは幸せなことでもあった。 彼を信頼している。誰からも与えられなかったものを与えてくれた。安心できる場所に迎え入れてくれた。死ぬまで、否、死んでなお忠誠を誓い続ける。勝負を挑み、負けた獄寺が己の爆弾で危機に陥っているところを救ってくれたあの日から。 敗者にさえ、傷つけてすまなかったと頭を垂れる、優しさが。今ではボンゴレ内でも随一の強さが。 (大切で…とても、……) 思考を止めて、獄寺はふうと一呼吸した。 ピーピー甲高い鳴き声はケトルのもの。あらかじめ温めてあった急須と湯のみ二つから湯を捨てると、用意しておいた茶葉を入れ、コンロの火を止めてから、ケトルを持ち上げ沸騰した湯を一気に急須に注いだ。もわっと熱い湯気が視界を覆う。 腕時計で30秒きっかり計ると、急須の蓋に揃えた指先を置いて傾けた。香ばしい香りが漂う。夕食をとってから一時間程しか経っていないので、茶菓子はつけない。大き目の湯飲みになみなみと注ぐと、それを盆に載せ、獄寺は簡易キッチンを出た。 コンコン。 獄寺はイタリア育ちだが、ボンゴレを統べる綱吉や、幹部の山本、時折世話になる笹川や雲雀が日本出身の為、獄寺もノックは二回だ。これは仲間を判別する為の簡単なセキュリティ・チェックにもなる。 間を置かず、「入って」という男の声がして、獄寺はドアノブを捻った。 扉を開ければ、薄暗い室内に一点だけ明かりが灯り、部屋の主を浮かび上がらせていた。 書面から離し、ちらりとこちらを窺った綱吉の目は、いつもどおり柔らかい色を帯びていたが、何か躊躇うような色も混ざっていた。一瞬で消し去ってしまったから、理由や原因を推察することはできないけれど、確かに普段とは違っていた。 「どうしたの?」 「お茶をお持ちしました。少し、疲れてるんじゃないですか? 無理しないで、休憩してください」 「ああ、確かにずっと書類とにらめっこじゃあ、眉間に皺が定着しそう」 ぱた、と力なく書類とペンを執務机に放り出して、ぐっと腕を上に伸ばした。それからくたりと力を抜き、今度は首を左右に倒しながらネクタイを緩めた。 しゅる、と。器用にほどかれるネクタイに何故か獄寺は息を詰めた。 それに気づかぬ綱吉だったが、休憩用にオーラを変化させるように、全身からほわほわと和んだ雰囲気を醸し出し、獄寺の緊張を無意識に解く。 「ありがとう。あ、ほうじ茶だ」 応接用の黒張りのソファにゆったりと腰掛け、ソファとセットのテーブルに置かれる湯飲みを手にとって香りを確かめるように嗅いだ。嬉しげに目を細める表情から、自分の選択が間違いではなかったと悟り、獄寺もひっそり笑った。 「久しぶりで、おいしい」 「ありがとう、ございます」 どうぞ、と綱吉が手で促すのに従って、獄寺も向かいに掛けて茶を啜る。日本にいた頃は、よく沢田家で夕食の後、綱吉の母に淹れてもらったなと懐かしくなった。獄寺の故郷はイタリアだが、郷愁をそそられるのは、決まって日本での数年間だった。 あの頃は、たくさんの敵が現れ始めたときで、強くなりたいと必死に足掻いていて、だけれど周囲がとても騒がしくて、でもあったかくて、幸せな時期だった。今より少しだけ臆病だった綱吉と、相変わらず能天気な山本と、一緒の学校に通って、偶に笹川や雲雀が加わったりして。 (楽しかった――……) 「……戻りたい?」 思考を読んだような綱吉の声に、ハッとした。湯飲みの水面が揺れる。 わずかに低めた真剣な声を、頭の中で繰り返す。 『戻りたい?』 随分遠くまで来てしまった。何もかもが輝いていた、楽しくて慌しい少年時代に、戻りたくないと言えば嘘になる。 しかし、後悔はしていない。無邪気に笑いあっていたあの頃を糧に、今こうして右腕として立っていられるのだから。確かに歩んできた軌跡。もう、戻る必要の無い道だ。 「いいえ」 静かにだがきっぱりと、綱吉の双眸を見据えて答える。 「ずっと、あなたの傍にいさせてください」 この身朽ち果てようとも、と続けたかったが、役に立たない部下は必要ないと、獄寺は十分すぎるほど知っている。 できるだけ長く深く関っていたいけれど、足枷や重荷になるくらいなら死んだ方がましなので、使い物にならなくなれば、捨てて行ってくれて構わない。獄寺も本望だ。偉大なボンゴレ10代目の右腕として働き、守り抜いたことを誇りに、笑って死んでいこう。 (それで、いなくなったら、ほんの少しでいいから、寂しくなったって思ってくれれば) 小さな我が儘。だけど、それだけで。獄寺は満たされる。 いつもならここで、ふわりとはにかむように笑みが浮かべられる筈の頬は、しかし、ぎこちなく強張った。戸惑ったように先に逸らされてしまう目。いつも相手を包むように、見透かすように見つめるのに。珍しい反応だ。眉も心なしか歪み、何か探すように瞳を揺らし、視線を空中に飛ばす。 もしかして、迷惑なのだろうか。もう、役に立たないのだろうか。何か取り返しのつかない失敗をしてしまったろうか。 不安に駆られる獄寺に、綱吉は目敏く気づくと、「いや、違う。これは、オレの問題」と溜息交じりの言葉を、ぼそりと吐いた。 余程悩んでいるのだろうか。組んだ手に額を当てて、うなだれるような姿勢をとった。全くもって彼らしくない。 何か重大な事件か案件があったろうか、と頭を回転させても心当たりは一つも無く、仕事に関係していることでもないようだ。 (『オレ』の問題…?) 話したくないのだろうか。腹心の自分には何でも話して欲しかったが、釘を刺すように言われてしまえば無理に聞き出すのも憚れて。 「…君にも、関係が無いわけじゃ、ないんだけど……」 固唾を呑むように見守る視線を痛いほど感じているのだろう、綱吉は組んでいた手を外し、顔を上げて口元に右手だけ当てた。表情は先程よりも途方にくれたようで、獄寺の胸が疼く。 彼を困らせているものは一体何なのか。 やがて覚悟を決めたように、迷っていた視線が、ひた、と獄寺に据えられた。心臓が大きく跳ねる。呼吸するのも忘れたように、その深い茶に魅入られていると、「やっぱ、駄目」と眩しげに情けなさそうに目を眇めて、立ち上がったと思うと点けていたランプの灯りを消してしまった。 室内で唯一の光源を失い、軽い暗順応の効果で綱吉の影を何重にも映しながら、獄寺は戸惑う。かすかに動く気配で、綱吉が苦しげに顔をゆがめているのを感じた。 (どうして) 「今日はもう仕事は終わり」と明るく言われても、どこか空々しくて眉根が自然に寄った。 「10、代目……?」 「――獄寺君は、座ったまま黙って聞いてて」 大きくはないが、従いたくなる強さを持つ言葉。精神を落ち着かせるような、ひそやかな深呼吸が聞こえた。 「最初に、言っておくよ」 こくりと息を飲んだ。 「嘘は吐かないで。同情や、半端な覚悟で来ないで。君の感情にだけ、従ってくれればいい」 解らないまま、それでも先を聞く為に頷く。 「これはオレの勝手で言うことだから、君には何一つ落ち度も責任も咎も無い。断ったからって、制裁はもちろん、誰かに吹聴もしないし、地位も生活も何もかもこのままだと保障する。強制するつもりもないし、何ならここで一筆書いてもいい。それでも逆らえないと思うのなら、リボーンに訴えてくれて構わない」 口腔が渇く。 「あ…の、……?」 何を、言っているの。 「あー…ぐだぐだ、ごめん、訳わかんないよね。情けない…」 唸るように髪をくしゃりとかき上げて。 「今更、我慢できなくなって、ごめん。このままの関係を壊したくないと思っていたのなら、ごめん。いつだって、オレを慕ってくれてたから……いや、言い訳か。勘違いだったなら、ごめん」 慎重すぎる、前置き。 切なげな響きを増す、声。 「立派なことは言えない、だけど――」 言葉は心に風を吹き込み、波紋のようにさざめきが広がる。 獄寺が呆然としているうちに、綱吉は獄寺の背後にある扉に手をかけていた。 「返事はいつまでも待つ。伝えたかっただけだから、してくれなくてもいい」 蝶番が軋んで、ゆっくりと開く。 心臓の音が聞こえる。 閉じた唇がまた開いて。 「君を縛る権利をくれないか?……好きなんだ」 静かな声は、幻聴? あなたの姿は、幻影? 光が差し込む場所から、綱吉は消えていた。 残るのは、ほうじ茶の香りに混ざる、彼のかすかな匂い。 (嘘……じゃ、ない?) 耳まで真っ赤に染め上げて、獄寺は背凭れにずるずると沈んだ。心臓はうるさいほど鼓動を伝えてくる。 隠し続けてきた想い。決して叶わないと思っていた。 美しい女たちに囲まれる遠い姿を見て、諦めるしかないと思っていたのに。 我知らず、獄寺は全身を震わせていた。力が逃げていきそうになる膝を必死に奮い立たせ、拳を握る。 喉の奥から、かすれた声を絞り出す。 「言い逃げなんて、卑怯です。返事なんて、決まってるじゃないですか」 ――敗者にさえ、傷つけてすまなかったと頭を垂れる、優しさが。今ではボンゴレ内でも随一の強さが。 (大切で…とても、……) 「好き、なんです…っ」 獄寺はまろぶようにソファから降り、一目散に駆け出した。 彼の人のもとへ。 愛する人のもとへ。 |
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