「あっ…あ! ちょ、ヒバリ……っ!」 「なに」 「やば…、そんなくっついたら、やばいって!」 「平気だろ」 「平気じゃねーよー、あーほらっ、あっあっあー!」 助手席 幾分間抜けだが、切羽詰った悲鳴に、雲雀は思い切り右足を押し出した。 慣性でガクンと前のめりになり、ベルトが肩と腹に食い込む。 いつも不機嫌そうな唇は引き結ばれて、さらに両端を下げる。 鋭い目がくだらなそうに斜め下に逸らされた。 ぐえっと蛙みたいに呻いたにも拘らず、山本は助手席でほっと胸に手をついた。 急ブレーキに安堵するほど、雲雀のアクセルの踏み具合が恐ろしかったらしい。 つい突っ張った右足から緊張が抜ける。 その右足はといえば、膝から爪先まで包帯でぐるぐる巻きにされていて、さらに「痛ぅ…」と苦笑いしながら癖で髪を触ろうとする右手も同様に固定されて三角巾で首から吊られている。 五体不満足を示すその白い腕と足をちらりと見て、雲雀は「馬鹿」と内心呟いた。 本当に馬鹿なのだ。 乱闘中吹っ飛ばされた雲雀の腕を掴んで、覆いかぶさりごろごろと吹き抜けの階段を転がり落ちた。 雲雀一人なら上手く落ちることも出来たから、打撲と捻挫、悪くても片腕骨折で済んだのに。 お陰で無傷だったが、体重二人分の衝撃を一つの体で受け止めた山本は、戦闘が終了していないのに動けなくなるという醜態をさらし、結局雲雀がその分を補わざるを得なくなった。 中学生の頃から『最強の不良』とマフィアにさえ恐れられていた雲雀だから、雑魚に毛が数本はえたような連中の束など、ものの数分で全て始末したけれど。 「オレが勝手に庇ったからさ、ヒバリは気にすんなよ」 山本が医務室で明るく笑う。 頬に差し伸べられた手を払った。 「誰も気にしてないよ。 全く、僕より弱いくせに何のつもりなの」 身の程知らず、と守った当人から憎まれ口を叩かれても、山本は不快さの欠片もない。 寛容というより、愚鈍だからだと思う。 「ん、だから体が勝手に動いたっつーか、……ほら犬とか猫が車に轢かれそうだったら、つい助けに入る感じ?」 「知らないよ。第一犬猫と一緒にしないでくれる?」 あんなに非力じゃないと冷たくあしらって、踵を返してベッドに背を向けた。 えー、もう行くのか?と名残惜しそうな声なのに、続くのは、気をつけろよというあっさり送り出す言葉。 束縛を嫌う雲雀を慮ってのことではなく、恐らく無自覚だ。 誰に向かって言ってると思ってるの気をつけろなんて。 小言は喉元から出さないまま、数歩進んだところでぴたりと足を止めた。 「……でも、貸しだと思われるのは不愉快だから、一つだけ願いを聞こうか」 「は? 貸しとかそんなんじゃねーよ。最後ヒバリにも迷惑かけたし、」 「何か望みは?」 途中遮って、無愛想にもう一度だけ尋ねてやる。 十秒だけ待とう。 カウントして八秒後、「んー」と視線を彷徨わせた山本が口を開いた。 「じゃあ―――」 こんな面倒な車だとは思わなかったよ、と皮肉というよりは心からうんざりした様子で雲雀は運転席に座った。 運転といえば、颯爽とバイクを駆る姿しか見たことがなかったから、山本の目には新鮮に映る。 ランサーエボリューション。 高性能なスポーツカーとして定評のある車だ。 力強い加速と足回りの安定性が気に入って購入したのだが、マニュアルトランスミッションであることや、多少いじってあることで、雲雀はお気に召さなかったらしい。 山本は大きくて格好いいマシンを思い通りに操ることで、支配欲を満たせるのだが、雲雀は一人で乗るバイクの身軽さを好むようだった。 その好き嫌いは別として、雲雀の運転技術はかなり高度なもので、そのハンドルさばきやギアチェンジは見事だったが、何分アクセルの踏み方が半端ではなく恐ろしい。 最初は運転する雲雀の横顔を見つめては喜んでいたのだが、高速に入れば浮かれた気も全て吹き飛んだ。 いわく、「速く走らないなら、車の意味がないじゃないか」。 言い分は理解できるがさすがの山本も、大切な愛車を傷つけられそうになるのは耐えられず、青褪めて悲鳴をあげるはめになる。 むっつりと仕方なさそうにブレーキペダルを踏む雲雀を、宥めすかしながらパーキングエリアに入り、ようやく人心地ついた。 怪我よりも心臓の方が苦しくて、シートに凭れて深呼吸した。 『お願い』をきいてもらっている立場なのに文句をつけるなんて、という罪悪感と、雲雀が怒ってここで置いて行ってしまったらどうしよう、という不安をぐるぐるさせながら、右を見る。 雲雀は冴え冴えとした美貌を、しかし曇らせて、無言でドアを開ける。 バタン、と後ろ手にドアが閉まる音。 急に主張し始める手足の痛み。 あーあー、いっちまったかなあ、と自己嫌悪に浸りながら目を閉じた。 ガチャ。 再びドアの開かれる音に、山本はびっくりして肩を揺らした。 当然のように雲雀が運転席に身を滑り込ませる。 驚愕の視線に気づいて煩わしそうに問う。 「なに?」 「いや…置いてかれたと思ったから……」 「お望みなら置いていってあげるけど」 山本は慌ててぶんぶんと首を左右に振る。 空気が揺れて、雲雀が纏っていたのか、冷たい雪の匂いがした。 そういえば景色など見る余裕もないままここまできたけれど、外は山間部で木々に花を咲かすように雪がちらついている。 「……雪だ」 「寒いからね、外」 言いながら雲雀が買ってきたらしい缶コーヒーのプルトップを開ける。 いつもと違う、砂糖とミルク入りの甘ったるいやつだ。 温かい香りが鼻をくすぐる。 一口だけ飲んで僅かに顔を顰めると、山本の方に差し出した。 「慣れないもの、飲むんじゃなかった」 左手で受け取れば、ほんの一瞬だけ雲雀の冷たい指先が触れる。 どうしてか涙が出そうだった。 すぐ離れていった温度を探すように、缶をぎゅっと握るけれど、じんわりと熱が手のひらを覆ってしまう。 山本は飲み慣れているそのホットコーヒー。 やけに甘い後味が口に残った。 |
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