準太にとって、島崎慎吾という人間は近いけれども少し遠い存在だった。 どこがどう、と具体性を求められると上手く説明できないが、何となく他の人間が持っていないものを持っている――あるいは、他の人間が持っているものを持っていない――ような、とにかくどこか違うのだった。 中学からの持ち上がりでない、というならば山ノ井を筆頭に野球部だけでも何人もいる上に、部活でかなり長い時間を一緒に過ごしていることを思えば慣れないから、という理由は考えにくい。 大人びた雰囲気か、というならば捕手の河合和己だってその落ち着きや包容力、部内をまとめる統率力は大したものだ。 なのにどうして彼だけに違和感があるのだろうか。 誰もその境目に気がつかないのだろうか。 「えー、三年のセンパイなんてみんなコセイテキじゃん」 慎吾サンだけ特別ヘンじゃあないと思うケド、とでかい図体で可愛らしく小首を傾げる後輩に(そりゃおまえにも言えてるけどな)という突っ込みは心の中にしまっておく。 女の子のようにココアの紙コップをセーターの袖が半分隠した両手で包むその姿。 金に近い髪と瞳、周りより頭一つ分高い長身、天真爛漫を越えて真正直すぎる表情に甘ったれた喋り方。 けれど利央はみんなと一緒。 自分から同心円状に広がる人間関係の、家族の次の次くらいの、野球部員の中でも近しい位置にいる存在の一人。 (参考になんねー) 「そうかよ」 「そりゃあ慎吾サンは、何考えてんのかわかんない時あるけどバッティング上手いし、意地悪だけど守備だって上手いし、偶にねちっこいけどすげー器用だし、結構卑怯だけど心理作戦上手いし、クールに見えて勝ちに執着するし」 イケメンだけど鼻ちょっとデカいし、モテるけど長続きしないし…以下延々と続きそうなくだらなくてよく解らない利央による慎吾像を準太は聞き流して、コーヒー牛乳の残りをストローで吸い込む。 ズズズ、と音を立てて紙パックが凹む。 「へえそれって誰の話?」 手元に目を落としていたので気づかなかった。 噂をすれば、とはよく言ったもので利央にヘッドロックをかける寸前の状態でいたのは島崎慎吾その人だった。 「ぎゃあ慎吾サン!」 慌てふためく利央が目を白黒させていては、もう答えをバラしているようなものだ。 逃げ出そうとしてもがく利央を、慎吾は許さず目を細めて面白そうに上から眺めている。 「いつから聞いて…っ?」 「『三年のセンパイなんてみんなコセイテキじゃん』から、かな」 「ひえ…!」 己の失言に青褪め、ますます手足をばたつかせる後輩に、先輩は。 「利央クン、リピートアフタミー。『慎吾サンは優しくて頼もしい素敵な先輩です』」 「しっ、慎吾サンは、ややや優しくて頼もしい素敵な先輩デス!」 「ワンスアゲイン」 「慎吾サンは優しくて頼もしい素敵な先輩デスっ!!」 「Excellent!」 胡散臭い作られた笑みを浮かべた慎吾は、脅えている利央を解放する。 自由になった瞬間、俊敏な動きで一目散に逃走する利央の、ふわふわ揺れる頭に「利央ー、今日オレと柔軟組もうぜ?」と声がかけられるが、「いいいやです、えんりょしまあす!」と情けない返事を寄越して本人は消えた。 愉快なその姿に噴出して笑っている間に、空いた席に慎吾が座る。 冷めたココアを退けて片手で頬杖をつき、上目遣いで準太を射た。 「で? おまえは何こそこそ先輩の悪口言ってんの?」 「言ってねっすよ…」 けれど疑問を自分でも上手く把握出来ていないのにどう言ったものかと、準太は言いよどむ。 そういえばこの先輩と二人きり、というのもなかなか珍しいことだった。 いつも和己なり、山ノ井なり、さっきのように利央なりがいることがほとんどで、二人だけというのはあまり経験がない。 よって、じわじわと緊張が胃の奥から滲み出てきた。 平常心とマウンドの上のように唱えてみても、意識し出すと止まらず、喉がからからに渇いていく感触がした。 (あれ、これ、どうしたら…?) 「んじゃ、恋愛相談?」 言い訳をさせてもらえるのならば。 準太は実は人見知りで。 その時どうしてか心臓が萎縮しきっていて。 突然の状況の変化についていけず戸惑いすら覚えている有様で。 感情の芯が剥きだしのような、過敏なところに何気ないからかいの台詞は予想外に深く突き刺さり。 「ち、ち、ちが、これは、その」 「じ、準太?」 「ギャー見ないでください!!」 薄茶の目が熟れたトマトよりも赤い自分の顔を映して、戸惑うように瞠られる。 どうしたらいいのかわからない精神に引きずられて、通常の活動を放棄する体。 いたたまれなくて撤退を余儀なくされた準太は頭を抱えてテーブルに突っ伏した。 勢いで空のパックが倒れてカコンと軽い音が頬を叩いた。 「なあ、具合でも悪かったか? そこは冗談で流すところだと慎吾サンは思うんですけど」 「うるっさいっすよ慎吾さんのバカ野郎ー! 変なスイッチ入っちゃったじゃねっすか! 大嫌いだよもー」 責任転嫁も甚だしく、幼子のように駄々を捏ねて最後、拗ねるように喚く。 絶対コレをネタに遊ばれる。 あまり人に喋って広めるタイプではないと思うが、抜け目のない彼だから要所要所で楽しむだろう事は想像に難くない。 自己嫌悪が歯軋りのような唸りとなって零れる。 それに重なって。 「あー…悪いね、オレは大好きだわ多分」 さらり、と呟かれた言葉はほんの少しだけ羞恥と躊躇が含まれていて。 耳から脳へ伝わって、ようやく理解すると一度準太は瞬きをした。 刹那、がばっと火照る顔を覆うのも忘れて慎吾を見つめる。 「って、何言わせんだよ、おまえは。つか、自分は逃げといて人のコト見てんなよ」 「このエロ助」、とふざけた口調を耳の先の赤さが裏切る。 自分より少し大きい手のひらが目隠しをしようとするのを避けずに、大人しく準太は不可視の世界へ連れ込まれた。 ふさがれる寸前に見たのは 中身の残っていた紙カップにつけられた薄い唇。 「……慎吾さんて、実は恥ずかしいヒトだったんだ」 「おまえに言われちゃお終いだね」 にが、と甘いはずのココアに向けられたかすかな独り言。 おかしさが込み上げてきて準太は笑う。 拍子に目隠しがずれて、慎吾の穏やかな横顔が覗ける。 もしかしたら彼も自分のように、他の人間と並ぶ準太に違和感を覚えていたのかもしれないな、と思った。 メジャー |
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